夏と少女と春

 

こんばんは。

 

「未来の子どものために」

というスローガンについて、プラハ滞在中に考える機会があった。

 

私自身、あまり可愛げのない捻くれた人間であるので、普段

「未来の子どものため」

なんて聞くと

「自分の人生に手一杯なのに、なぜ産まれるか分からない子どものために生きなければならないのか」

なんて思ってしまう。

 

ただ、ある女の子との会話がキッカケで、そんなスローガンも悪くないなと思った日があった。

 

 

プラハの夏は賑やかだ。

観光客はチェコ人の3倍(推定)くらいいるし、どこかで何かが毎日起こる。

お祭り騒ぎだったり、喧嘩騒動だったり、とにかく賑やかだ。

ただ、賑やかさのなかに、どこか影があったりもする。

 

夏も終わりに近い8/20。

1968年のこの日、当時チェコスロバキアが推し進めていたプラハの春に反対し、ワルシャワ条約機構軍が予告なしにチェコスロバキアに侵攻、プラハを武力制圧する事件が起こった。

街中では、その事件を偲ぶパネル展示や小さなコンサートが開かれていた。

 

私の参加していたサマースクールでも、当時の政治情勢や、市民の生活、大学の様子などを取り扱った講義が何度か開講された。

 

その一環で、プラハの春と武力制圧についてのドキュメンタリー映画を鑑賞する機会があった。

圧倒的武力の前に、なす術もない市民たちや、道に倒れこんで動かない人の姿も映っていた。

何度もインタビュー映像が用いられ、いかに侵攻が理不尽であったか、どれくらい悔しかったか、当時その場にいた人たちが涙ながらに状況を振り返っていた。

 

共産党政権下のチェコについてのドキュメンタリーを見るのはこれが初めてではない。

毎回そういった類いの作品を観るたびに感じるのは、

「悪者ロシアと被害者チェコ

という絵面だった。

 

ワルシャワ条約機構軍の中で当時最も権力を有していたのはソヴィエトであるし、そんな大国が他国を率いてチェコにやって来た、という印象は避けられない。

そんな大国が小さな国に来て、武力制圧を行い、その後何十年も影響を及ぼしたのだから、「悪者対被害者」の絵面はどうしてもしっくり来てしまう。

 

ただ、私がずっと気になっていたのは

「今この場にいるロシア人は、どう感じるのか」

ということであった。

 

チェコに移住するロシア人は少なくない。むしろ、移民の中ではマジョリティである。

教室にはほぼ必ずロシア系の生徒がいるし、その日、ドキュメンタリー映画を観た時も例外ではなかった。

私の友人のロシア人の女の子が、教室にいたのだ。

 

 

映画は決して楽しいものではなかった。むしろ、当時の占領下の生活や人の気持ちを思うと、とても「重たい」映画だった。

鑑賞後、気分転換にふらっと外に出てみると、ロシア人の少女が外にいてタバコを吸っていた。

 

この子はどんなことを思いながら、映画を観ていたんだろう、という考えがふと頭をよぎる。

ただ、どう聞いて良いかも分からず、何と声を掛けていいかためらいながら

「元気?(how are you? are you alright?)」

と話しかけた。

 

少女はため息をつきながら、

「映画のせいで気分が落ち込んでいるの」

と答えた。

 

そして、

何も変える勇気のない自分に腹が立っている、自分の国はあの映画で観た通り最低な国なのに、何もできずにいる自分に腹が立つ、

と続けた。

 

「でもあなたはソヴィエトとは関係ないし、あなたが気にやむ必要はないと思うよ」

 

と咄嗟に答えると、

 

「そうね。私はソヴィエト崩壊後に産まれたし、何も関係ない人間だわ。

でもね、私の両親はプラハが占領された時にモスクワにいて、彼らも何もできなかった。私の国がやったことは取り返しがつかないし、私は自分の国をとても恥じているの。どんなに嫌でも私のパスポートはロシアのままで、変えられない。そして、どんなに嫌でも、結局何もできない自分が嫌なの。」

 

と、今にも泣きそうな顔で、ポツポツと自分の考えを話してくれた。

 

その女の子は私より年下だが、とても賢くて、実年齢より大人びて見える、普通の優しい子だった。

個人的にその子が好きだったし、自分の友人が、その子と何も関係ないことで罪悪感を覚え、泣きそうになっているその状況が、私にはショックだった。

 

なぜ、この子がこんな思いをしないといけないんだろう。

全く何もしていないこの子が、なぜ、泣きそうにならなければいけないのか。

 

 

その時、

過去の人間がやったことは、その子どもが背負わないといけないんだ、

と、ふと思った。

 

歴史を学び、忘れないようにする必要は絶対にある。

ただ、その歴史によっては、自分たちの先祖がやったことに驚き、傷つくこともあるのだ。

 

傷つくことも時には大切だけれど、

今の自分たちの行動が、無闇にこれから産まれてくる子どもを傷つけないよう、自分たちのせいで、その子が出自を恥じないよう、

「未来の子どものため」

という考え方が必要なんじゃないだろうか。

 

 

重くてベタベタの文章でとっても反省しているけれど、今回はこのへんで。

 

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P.S.夏のチェコは賑やかで、仄暗いけど、美しいです。